クロスオーバー・イレブンって、まだ放送されているのですか。学生時代には、よくラジカセで聴いていました。ブラジルのフュージョングループ、AzymuthのFly over the Horizon(地平線に飛ぶ)がテーマ曲に使われていて、当時はむっちゃカッコイイと思っていたのですが、あらためてアマゾンで聴きなおしてみると、もう呆れちゃうほどあざといです(笑)。これ見よがしのチョッパーベースに、「ピョ~ン」の奇声ドラムシンセが、ブラジル人的しつこさで性懲りもなく続きます。あちゃー。
「ジャズの秘境」(嶋護著 disk UNION)に、ルディ・ヴァン・ゲルダーへのインタビューが掲載されています。「音を歪ませる最大の元凶は、LPレコードそれ自体だ!(中略)レコードにはいいところがひとつもなかった。デジタルで録音された音が好きじゃないという人がもしいたら、それはそのエンジニアのせいだ。マスタリング・ハウスのせいだ。ミキシング・エンジニアのせいだ。そうした理由でひどい音のデジタル録音もあるし、そのことを否定するつもりもないが、CDというメディアのせいにすべきではない」と熱く語っている一節がありました。
ソナス・ファベールにしても、フランコ・セルブリンにしても、装飾性が高くて重厚な味わいのある、イタリア「家具」を連想させるデザインですね。ダヴォンはスウェーデン、ディナウディオやダリはデンマークで、いずれも簡素な北欧「家具」を思わせます。JBLは大らかで頑丈なアメリカ「家具」を、タンノイやハーベスはマホガニー製の英国「家具」を思わせます。ただB&Wだけは異質で、英国「車」を思わせるかな。機能第一でなかったら、あのチョンマゲみたいなツイーターはあり得ないですよね。
いずれスピーカーだって家具と言えなくもないし、デザインや造りはその国の伝統を受け継いでいると思います。そんな目で我らが日本のスピーカーを見ると、直線で構成された「指物」を連想します。真四角で面白くも何ともないけど、輪郭線ががキリッと立って、面が吸い付くように平らな、そういう美です。でも見えない接合面に一番手間がかかっていて、組手で強度を上げています。抽斗を押しこむと、となりの抽斗が空気に押されて出てくる。そんな生真面目な造りこみを「音楽性に欠ける」などと貶められ飽きられて、まあ舶来品びいきが日本の伝統と言えなくもないけれど、苦戦しているうちに壊滅?してしまいました。ユニットはフォスター電機という大企業が健在なのに、変な話なのです。
すみません、話が変な方に行っちゃいました。このソネットⅢ、イタリア家具のテイストは残しつつ、でもリネアみたいに丸ごとイタリアでもないので、日本家屋に置きやすいでしょう。暖か味のある、嫌味のない音で、たっぷりと鳴らしたい。その音楽を好きでない人がいても、「音量を下げて」と言われないようなスピーカー。そんな感じがしました。ちなみに私は、「澄み切って静寂な室内」だったら、小音量でも音の形が崩れない、小口径フルレンジで聴くのが好きです。
クロスオーバー・イレブンって、まだ放送されているのですか。学生時代には、よくラジカセで聴いていました。ブラジルのフュージョングループ、AzymuthのFly over the Horizon(地平線に飛ぶ)がテーマ曲に使われていて、当時はむっちゃカッコイイと思っていたのですが、あらためてアマゾンで聴きなおしてみると、もう呆れちゃうほどあざといです(笑)。これ見よがしのチョッパーベースに、「ピョ~ン」の奇声ドラムシンセが、ブラジル人的しつこさで性懲りもなく続きます。あちゃー。
DG-58は、トレーニング・マシンにもなると思います。
「〇〇Hzあたりに、ピークが出ている」
「〇〇Hzあたりに、ディップ(へこみ)が出ている」
こういう会話ができるようになります。いや会話ができるようになるのが良いのではなくて、セッティングが上手になるでしょうね。もっとも、セッティングが上手でなくても、上手な音を聴けるようになるのが、この機種の存在価値なのでしょうが。ただこういう機械を間に挟むと、音質的に劣化すると考える人もいると思いますが、少なくとも私の耳では劣化は感じませんでした。おっしゃる通りで「悩み解消マシン」ではあるのだろうけど、探求心が旺盛な人なら、アンプなどを入れ替えるよりもずっと楽しめると思います。
先日はお越しいただき、ありがとうございました。
持ち主として、少し補足をさせてください。低音の質(速さ、音程)、量、深み(レンジ)、この三つを満たそうとすると、途方もない話になってきます。でも「量」と「深み」を捨ててしまえば、コンパクトで低音が出ないスピーカーが有利になります。モヤつかない点音源は部屋の影響を受けにくいし、壁や床を震わせません。小口径のウーファーは上まで伸びるので、クロス周波数も高くできます。低音の不足感はスピーカーに近寄ることで、緩和されます。これがコンパクトなブックシェルフ・タイプのスピーカーによる、ニアフィールドリスニングです。
このスピーカーは内側に複雑な溝を彫ることで定在波の発生を防ぎ、吸音材を使わない仕様にしてもらいました。スピーカーを自作した人なら、いかに吸音材が音を殺してしまうかを知っています。でも特性を良くするために、泣く泣く入れる必要悪なのです。吸音材の入った楽器はありません。私のこだわりを、実現してもらいました。ウォルナットの無垢板でしっかり造られていることもあって、驚くほど良く響きます。電源は配電盤からオーディオ専用に引いてもらい、アースも取っています。ケーブルは自作で、スピーカーには1950年代?の、Anaconda 18AWG、ロウびきの単線を使っています。
車で言えば1500ccクラスの、ま、カローラなんですけど、あちこち改造したって感じでしょうか。初めから速い車の方が世話はないのでしょうけど、改造車なりの味があるっていうことで、ご理解ください。
私が中高生の頃、家にサンスイのプリメインアンプがありました。決して(銘)機ではなかったはずですが、コントロールが凝ってしました。ステレオとモノラルの切り換えも、左右逆転のステレオ、右+左のモノラル、右のモノラル、左のモノラルがありあました。トーンコントロールはハイもローもクロス周波数が切り換えになっていて、左右チャンネル別々にツマミがついていました。MMカートリッジの出力を受けるのに、インピーダンスの切り換えもついていました。
かつてはレコードを「良い音」で聴くのに、これら各種ツマミを操作するのが必須のスキルだった、ということだと思います。たとえばレコードのイコライジングカーブは、RIAAに統一されたのが1954年ということになっていますが、実情は違っていたようです。ブルーノートは「RIAAで聴いてね」と能書きをつけておきながらAESを使い続けたとか、コロンビアは自前のカーブを愛用し続けたとか、エンジニアが勝手にカッティングマシンのコンデンサを換えて好みの音にしていたとか、いろんな話があるようです。また定位については、初期のステレオ録音は右と左の泣き別れはごくありふれています。悪質?なのは疑似ステレオと言って、モノラル録音を周波数で右と左に振り分けたものです。
ステレオ盤をモノラルで聴くのは、実はアンプの切り換えスイッチではイマイチ、らしいです。単純に合成してしまうと、「真ん中成分」が過剰になってしまって、たとえば真ん中の歌手が強調されるとか。トランスをかまして合成するのが良いらしいのですが、既製品では目にしたことがありません。こういうときにこそ、デジタル処理の出番のような気もします。普及している再生アプリのfoobar2000に、モノラルモードはあるのですが、単純に合成しているのか、左右の差分を計算して合成しているのかどうかは不明です。デジタルだったら、イコライジングカーブの変更も簡単なように思います
昨年9月NHKBSで放送された竹内まりやさんの番組の中で、録音スタジオにラジカセが置いてあって、それでどう聴こえるかで音の調整をしている、というコメントがありました。オーディオ的にはどうなのでしょうか?
ところで、私もC3900とC3850の比較をする機会を得ました。
あくまでも、その環境で限られたソースでの個人的な感想ですが...
3900は、色付けされない解像度の高い音がストンと出てくる、中でも高解像度で締まった低域が印象的でした。そのおかげで、ボリュームを上げても煩く感じませんでした。
音場は奥や上に広がり、ボーカルの位置が少し上がりました。
一方、3850は色付けを感じますが、女性ボーカルに限っては、演奏の音数が増えた3900よりボーカルが際立って聞こえました。そこは3800から3850に買い替える理由となった個人的に好きなポイントでした。
3900は、アキュフェーズらしい確実な進化をしていますが、個人的な好みとして、ボーカルの際立ちが薄まってしまうのは、買い替えを検討する上で唯一悩む点ですね。
「ジャズの秘境」(嶋護著 disk UNION)に、ルディ・ヴァン・ゲルダーへのインタビューが掲載されています。「音を歪ませる最大の元凶は、LPレコードそれ自体だ!(中略)レコードにはいいところがひとつもなかった。デジタルで録音された音が好きじゃないという人がもしいたら、それはそのエンジニアのせいだ。マスタリング・ハウスのせいだ。ミキシング・エンジニアのせいだ。そうした理由でひどい音のデジタル録音もあるし、そのことを否定するつもりもないが、CDというメディアのせいにすべきではない」と熱く語っている一節がありました。
レコードやCDは容れ物であって、容れ物としてはCDの方が圧倒的に優れている、ということなんですね。「LPがなくなるのは気分が良かった。いい厄介払いになった」とまで言い切っています。エコーたっぷりのレコードを大量生産した人だけど、よほど恨みつらみでもあったんでしょうか。たとえば絶対音感のある人だと、レコードの外周と内周で音程が変わるのが気持ち悪くてかなわないとか、そんなこともあるらしいですね。
私は「CDは良い音で聴ける、LPは好きな音で聴ける」と考えています。音の容れ物としては、CDの方が優れている。でもLPはプレーヤーも多様だし、いじるところも多いので、自分好みにすることができる。写真のアコースティック・ソリッドは、管理人さんの「好きな音」を奏でてくれるということではないでしょうか。「倍音や余韻」はもしかしたら付帯音で、それが琴線に触れるのだと思います。私はどちらかと言うと、YAMAHA GT-5000の方が「好きな音」でした。
アキュフェーズのDP/DC950ですが、SACDとCDの落差がないのが素晴らしいと思います。私の手の届く範囲のSACDプレーヤーだと、CDをかけるとガックリくるような音が出てることがあります。読み込みも遅くてイライラするし。シンプルなCD専用機の方が、余程ましです。でもDP/DC950だと、CDをかけてもらってもガックリ来ない。さすがに良い音だなー、と思うのです。これからSACDが巻き返すとは思えないし、たいていのリスナーはCDが主力メディアなので、本来はSACDの普及機でもクリアして欲しいところです。昔のダブルカセットみたいに、SACDとCDのドライブを、二つ載せることはできないんでしょうか。
AB2はいいですよ。ぜひ試聴することをおすすめしいたます。私は5年ほど使っておりますが、一度つないだら外すことは考えられません。
2015年からAB2をつかっています。
私のLS3/5a は、2011年に故障してstirlingBroadcastに修理に出したのですが(Rogersの代理店がこの時期無かったので)、箱は1982年に購入のまま、ユニットおよびクロスオーバーがRogersの60th記念モデルのものに付け替えて戻ってきたという変わりものです。
JAZZを主に聴きますが、AB2をつなぐのとつながないのでは、ウッドベースの量感がまるで違います。しかもLS3/5aの良さを阻害すること無く・・・いや、高域まで含めて音楽全体が良くなった印象をうけました。
一度つないだら外せません。
ご参考までに。
音の違いは、みなさん同じように聴き分けているけど、どちらを好むかについては、賛否両論があるということですね。
私なら迷わず3900を選びますが、3850に好感をもつ人の気持ちも分かります。あってもなくても良いようなモノ?に200万弱ですからね。素っ気ない音じゃなくて、たっぷりとリッチに聴かせて欲しい、そう思っても不思議はないです。
かたや、素っ気ないのも究極まで行くと、演奏や録音の美点が(弱点も)くっきりと目の前に現れてくる。リスナーに、ひとつ高い目線を与えてくれるということですね。細川さんの「技術点の高さに、芸術点もついてきた」は、そこを指しているのかな、と思います。
ここまでオーディオに入れ込めるのか、騒音の発生源を増やしたら妻が「おっかない」に変身するかもしれないし、いや、そもそも、そんなカネはないだろう、とか考えると、もうどうでも良くなっちゃうのですが。
学生時代もはるか昔のこととなりましたが、池袋の西口にDjangoというジャズ喫茶がありました。色だけはコーヒーらしい液体を飲むにはミルクが必需品だったのですが、「ミルク下さい」と叫んでも通じないときは、お姉さんの胸を指さしてサインを送ることになっていました。そのすさまじい轟音の発生源はJBLのパラゴンで、ドラムなど叩く音は圧倒的に強かったし、サックスもブリブリと前に出て来るしで、とにかく何を聴いてもパラゴン色に塗りつぶされる感じでした。同じJBLのスタジオモニターと比べれば、歪っぽいし付帯音も乗っていたし、ナローレンジでした。それでも「あそこでジャズを聴きたい」と思う客がそれなりに居たし、私も「瓶に入った飲み物が安全」なことを学習して、コーラを頼んでジャズに没頭していました。「何を聴いても○○の音」は、「おふくろの味」みたいな安心感があるのかもしれません。
細川さんの「技術点」と「芸術点」は、「再現力」と「味つけ」と言い換えた方がはっきりするような気がします。このごろは「原音再生」との言葉も聞かれなくなりましたが、しかし録音の正確な再現こそがオーディオの本筋でしょう。その一方で、パラゴンのように味つけの濃い音も人気があります。厄介なのは、「再現派」の人は味つけの濃い音も好きだったりする(細川さんはSPU-GTやオートグラフ?)のに、「味つけ派」の人は再現性の高い音を否定しがちなことです。超絶技巧のミュージシャンをこき下ろすときと同じで、「つまらない」とか「音楽性がない」とか、散々な言われようをすることがある。それはちょっとフェアじゃないよな、なんて思ったりもします。