コメント一覧コメント一覧(6ページ目)佐々木信幸2023/12/03C-2810は、200〜2000番台最後のフラッグシップ機でした。つまり当時のアキュフェーズにとって最高の音を目指して作られたプリアンプと言えると思います。多くの評論家さんがリファレンス機として使用していました。 その後のC-2820からはフラッグシップの3800番台の下位モデルとなりました。廉価版ではなく意図的にキャラクターを変えたとのことでしたが・・・。 僕は、C-2810の音を聴くと、解像度や透明感では最新の下位機種にやや劣るけれど、高級機ににしかない表現力の凄みのようなものを感じてしまいます。クラシックだけでなく往年のジャズボーカルもいけるのではないでしょうか。節回しとか、力の込め具合とか、C-2810にしか表現できない世界を聴かせてくれそうな気がします。コメントした元記事初心者2023/11/28P-4600は安心して勧められると。するとC-2300はやめとけ、ということで宜しいですね?コメントした元記事佐々木信幸2023/11/13自宅でC-2300を使用して1ヶ月。今まで使用していたC-2810で叶わなかったオーケストラでの楽器の位置と奥行きがわかるような明快な音像感に満足していますが、藤井さんや細川さんのご指摘の通り、ビート感や空気感の表現はC-3900より弱いようです。 中堅機は、音が立ち上がるエネルギーや音の消えゆく様の美しさという部分において、ハイエンド機には敵わないということなのだと思います。さらに、以前使っていたC-2810でも感じていたのですが、アキュフェーズの代々のハイエンド機には、セカンド機にはないような凄みや品格があるような感じがします。それでも、C-2300なりの楽しさに夢中です。トーンコントロールの2kHzを下げると直接音が減って相対的にホールトーンが伸びて、ソナスファベール に似た情感と知性のある音色になります。逆に2kHzを上げ気味にすると、ホーンスピーカーのようにボーカルが前に出てきて、楽器の音が濃くなり、エモーショナルなジャズにぴったりです。色っぽいバイオリンとか、地を這うような低音とか、教会の天井から降り注ぐようなコーラスとか、表現の幅が広がりました。C-2300の魅力は、細かいところにこだわるオーディオマニアが音を追求するのではなく、音楽好きが楽しく聴くための調整がしやすいという点に尽きるような気がします。 なんといっても、C-3900とC-2300は100万円以上の価格差です。十分健闘していると思います(笑)コメントした元記事佐々木信幸2023/10/30スーパーフラミンゴ、マトリックス接続のリヤ用なのでエージング不足です。アイドル系の歌など、合わないソフトの音は聴けたもんじゃありません。藤井さんの前では頑張っていた方だと思います。音量に関して。「ジャズオーディオ宣言」の山口孝さんのお話とJBL S9800でジャズを聴くイベントに参加したことがあるのですが、頭がクラクラするほどのすごい音量でした。ジャズの真髄はそうしないとわからないとのことで、我慢して聴いていたのですが、そのうちにだんだん気持ち良くなり演奏と一体化しているような錯覚を覚えたのでした。まったくもって極端な話ですが。 家で気合を入れて聴くとき、また人に聴かせるときは、会場の熱気や演奏者の力の入れ具合が伝わるくらいの音量にしたいと思っています。結果、ジャズやボーカル、オーケストラには強く、室内楽にはイマイチな音になってしましました。コメントした元記事はやと2023/10/25接点クリーニングは、綿棒+無水アルコールでやります。綿棒って使い辛いんです。特に端子類には。端子クリン、良いかも。その昔、あるオーディオ評論家が、「接点などをクリーニングすれば一時は音が良くなるが、持続するわけではなく、そのうち音は元に戻る。そのたびにクリーニングに短くない時間を使うのは、どんなものだろう?」みたいなことを仰っていました。その時は、「なに言ってんだ、この人。音は良い方がいいだろう!」と思っていました。ですが、面倒くさいことが億劫になってくる歳になって、クリーニングはあまりやらなくなりました。評論家氏は達観していたのか。それとも見かけより歳を取っていたのか。ちなみに、その評論家氏は現役ですし、使用装置類の総額はもの凄いです。コメントした元記事あおのり2023/10/23Charioというメーカーは、たしかソナス・ファベールよりも長い歴史があり、イタリアを代表するスピーカーブランドだったように記憶しています。輸入商社での取り扱いが安定せず、日本市場には安定した供給とはなっていませんでした。まだ聴いたことがなかったので、お店に立ち寄ったときに聴かせてもらいました。コンパクトな筐体ですが、気前よく低音が出ます。低音の量感に支えられた、安心感のある音のように感じました。キャビネットのデザインが優美で、造作も丁寧なので、リビングに置くには良いですね。落ち着いて音楽を楽しみたい人には、向いていると思います。私としては叩く音の強さや、張り出してくる感じが欲しいところではあるのですが……、これは好みですね。これから鳴らしこんでいけば、もうちょっと朗々としてくるような印象も受けました。コメントした元記事あおのり2023/10/17「傘がない」……懐かしいですね。中学生の頃だったかな、意味不明な歌詞だと思っていました。 陽水さんは「君」に会いに行かなくちゃいけないけど、傘がない。傘を買うお金もないのか。だったら傘を借りれば良いのに。貸してくれる人もいないのか……なんて考えていました(笑)。「傘」は「愛」だったと気づいたのは、大人になってからでした。それでもやるせなさ、どうしようもなさ、そんな感じは中学生のときにも感じていました。あれを聴いていた人たちは、「傘」が「愛」だって思って聴いていたのかな。確かに、意味は大事ですね。コメントした元記事あおのり2023/10/16管理人さんの生真面目さが出ていて、とても面白く読ませていただきました。 私も中高生だった頃はLPで、立派なライナーノートには対訳もついていて、かじりつくようにながめながら聴いていたものです。でも年を重ねると、CDで小さくなってしまったこともあって、歌詞は確認しなくなってしまいました。その理由の一つは、「歌詞を表現するための曲」かもしれないけど、「曲を成立させるための歌詞」かもしれないと思うようになったのです。実際に曲が先にあって、後から歌詞がついている曲もあります。韻を踏むとなると、意味よりも音の響きが優先されます。日本語の場合はさらに厄介で、どうしても洋楽のリズムに刃乗りにくい。井上陽水のように、「意味なんかなくて良い」と割り切ってしまう人もいます。ヴォーカリストは vocalist であって、verbalist ではありません。歌が<感情→言葉→声>だとしたら、「声」を味わっていると「感情」が伝わってくる、それが優れたヴォーカリストなんじゃないかな、と思ったりします。「王様」はひょんなことで、ナマを観たことがあります。ロックファンなら楽しめるし、芸人としては唯一無二の芸を確立していて立派だと思います。でもいくらギターと歌が上手くても彼をミュージシャンだとは思いません。芸人さんの芸は笑いを取るのが目的で、彼自身の感情を表現する手立てではないからです。コメントした元記事ふんわり湧水2023/09/30盛岡在住、以前アキュフェーズのプリ、パワーアンプ購入しました。 岩手県民会館の音響についてのコメント消えてしまったようで残念。方舟はアンプ自作する友人と2回行きました。 轟音でした。長岡先生が良しとする音を確認できたのは貴重な体験で今でも参考にしています。持参したCD、良い音だねと褒めて貰いました。当時先生は70歳手前だったでしょうか、後半時間オーバーして恐縮しているのにレーザーディスクとDVDの画質や音響の比較が始まってしまい、幼児向けアニメのソフト鑑賞して先生の解説を聞けたのも思い出です。振り返って考えると、予め予約はするものの素性不明の若者を迎え入れてくれる度量の大きさは今では中々ないことかもしれません。ところで全然関係ないですが、先日初めて行った個人病院の待合室でBGM程度の小さい音なのに大変音離れの良い音がしたので、振り返って見たらパラゴンでした。コンディション良いようで是非大きい音で聞いてみたい。コメントした元記事ハラ2023/09/26先日、部屋の整理をした際に、古いStereo Sound誌「方舟」の記事を読み返し、何となく処分するのを辞めました。私の先輩(オーディオの師)は、D-58ES+T500AMk2に、ベリンガーのDEQ2496を駆使、プリとパワーは古いアキュフェーズですが、どんな装置を使用しても、同じ音がしそうな勢いです。定位とか音場という次元ではなく、ヘッドホンで聴いて脳内定位するかの様な、否、耳ではなく脳が直接聴いているかの様に錯覚する、と言ったら言い過ぎでしょうか?そんな衝撃的な音です。 私もD-58ESに替えようかと、真剣に悩んだ時期もありました。YouTubeに、月刊stereoの方舟訪問の様子がアップされています。 私も聴いたのは初めてでしたので、有難く拝聴しました。 駄文、失礼しました。コメントした元記事1…45678…40
C-2810は、200〜2000番台最後のフラッグシップ機でした。つまり当時のアキュフェーズにとって最高の音を目指して作られたプリアンプと言えると思います。多くの評論家さんがリファレンス機として使用していました。
その後のC-2820からはフラッグシップの3800番台の下位モデルとなりました。廉価版ではなく意図的にキャラクターを変えたとのことでしたが・・・。
僕は、C-2810の音を聴くと、解像度や透明感では最新の下位機種にやや劣るけれど、高級機ににしかない表現力の凄みのようなものを感じてしまいます。クラシックだけでなく往年のジャズボーカルもいけるのではないでしょうか。節回しとか、力の込め具合とか、C-2810にしか表現できない世界を聴かせてくれそうな気がします。
P-4600は安心して勧められると。するとC-2300はやめとけ、ということで宜しいですね?
自宅でC-2300を使用して1ヶ月。今まで使用していたC-2810で叶わなかったオーケストラでの楽器の位置と奥行きがわかるような明快な音像感に満足していますが、藤井さんや細川さんのご指摘の通り、ビート感や空気感の表現はC-3900より弱いようです。
中堅機は、音が立ち上がるエネルギーや音の消えゆく様の美しさという部分において、ハイエンド機には敵わないということなのだと思います。さらに、以前使っていたC-2810でも感じていたのですが、アキュフェーズの代々のハイエンド機には、セカンド機にはないような凄みや品格があるような感じがします。
それでも、C-2300なりの楽しさに夢中です。トーンコントロールの2kHzを下げると直接音が減って相対的にホールトーンが伸びて、ソナスファベール に似た情感と知性のある音色になります。逆に2kHzを上げ気味にすると、ホーンスピーカーのようにボーカルが前に出てきて、楽器の音が濃くなり、エモーショナルなジャズにぴったりです。色っぽいバイオリンとか、地を這うような低音とか、教会の天井から降り注ぐようなコーラスとか、表現の幅が広がりました。
C-2300の魅力は、細かいところにこだわるオーディオマニアが音を追求するのではなく、音楽好きが楽しく聴くための調整がしやすいという点に尽きるような気がします。
なんといっても、C-3900とC-2300は100万円以上の価格差です。十分健闘していると思います(笑)
スーパーフラミンゴ、マトリックス接続のリヤ用なのでエージング不足です。アイドル系の歌など、合わないソフトの音は聴けたもんじゃありません。藤井さんの前では頑張っていた方だと思います。
音量に関して。「ジャズオーディオ宣言」の山口孝さんのお話とJBL S9800でジャズを聴くイベントに参加したことがあるのですが、頭がクラクラするほどのすごい音量でした。ジャズの真髄はそうしないとわからないとのことで、我慢して聴いていたのですが、そのうちにだんだん気持ち良くなり演奏と一体化しているような錯覚を覚えたのでした。まったくもって極端な話ですが。
家で気合を入れて聴くとき、また人に聴かせるときは、会場の熱気や演奏者の力の入れ具合が伝わるくらいの音量にしたいと思っています。結果、ジャズやボーカル、オーケストラには強く、室内楽にはイマイチな音になってしましました。
接点クリーニングは、綿棒+無水アルコールでやります。綿棒って使い辛いんです。特に端子類には。端子クリン、良いかも。
その昔、あるオーディオ評論家が、「接点などをクリーニングすれば一時は音が良くなるが、持続するわけではなく、そのうち音は元に戻る。そのたびにクリーニングに短くない時間を使うのは、どんなものだろう?」みたいなことを仰っていました。その時は、「なに言ってんだ、この人。音は良い方がいいだろう!」と思っていました。
ですが、面倒くさいことが億劫になってくる歳になって、クリーニングはあまりやらなくなりました。評論家氏は達観していたのか。それとも見かけより歳を取っていたのか。ちなみに、その評論家氏は現役ですし、使用装置類の総額はもの凄いです。
Charioというメーカーは、たしかソナス・ファベールよりも長い歴史があり、イタリアを代表するスピーカーブランドだったように記憶しています。輸入商社での取り扱いが安定せず、日本市場には安定した供給とはなっていませんでした。まだ聴いたことがなかったので、お店に立ち寄ったときに聴かせてもらいました。
コンパクトな筐体ですが、気前よく低音が出ます。低音の量感に支えられた、安心感のある音のように感じました。キャビネットのデザインが優美で、造作も丁寧なので、リビングに置くには良いですね。落ち着いて音楽を楽しみたい人には、向いていると思います。私としては叩く音の強さや、張り出してくる感じが欲しいところではあるのですが……、これは好みですね。これから鳴らしこんでいけば、もうちょっと朗々としてくるような印象も受けました。
「傘がない」……懐かしいですね。中学生の頃だったかな、意味不明な歌詞だと思っていました。
陽水さんは「君」に会いに行かなくちゃいけないけど、傘がない。傘を買うお金もないのか。だったら傘を借りれば良いのに。貸してくれる人もいないのか……なんて考えていました(笑)。
「傘」は「愛」だったと気づいたのは、大人になってからでした。それでもやるせなさ、どうしようもなさ、そんな感じは中学生のときにも感じていました。あれを聴いていた人たちは、「傘」が「愛」だって思って聴いていたのかな。
確かに、意味は大事ですね。
管理人さんの生真面目さが出ていて、とても面白く読ませていただきました。
私も中高生だった頃はLPで、立派なライナーノートには対訳もついていて、かじりつくようにながめながら聴いていたものです。でも年を重ねると、CDで小さくなってしまったこともあって、歌詞は確認しなくなってしまいました。
その理由の一つは、「歌詞を表現するための曲」かもしれないけど、「曲を成立させるための歌詞」かもしれないと思うようになったのです。実際に曲が先にあって、後から歌詞がついている曲もあります。韻を踏むとなると、意味よりも音の響きが優先されます。日本語の場合はさらに厄介で、どうしても洋楽のリズムに刃乗りにくい。井上陽水のように、「意味なんかなくて良い」と割り切ってしまう人もいます。
ヴォーカリストは vocalist であって、verbalist ではありません。歌が<感情→言葉→声>だとしたら、「声」を味わっていると「感情」が伝わってくる、それが優れたヴォーカリストなんじゃないかな、と思ったりします。
「王様」はひょんなことで、ナマを観たことがあります。ロックファンなら楽しめるし、芸人としては唯一無二の芸を確立していて立派だと思います。でもいくらギターと歌が上手くても彼をミュージシャンだとは思いません。芸人さんの芸は笑いを取るのが目的で、彼自身の感情を表現する手立てではないからです。
盛岡在住、以前アキュフェーズのプリ、パワーアンプ購入しました。
岩手県民会館の音響についてのコメント消えてしまったようで残念。
方舟はアンプ自作する友人と2回行きました。
轟音でした。長岡先生が良しとする音を確認できたのは貴重な体験で今でも参考にしています。持参したCD、良い音だねと褒めて貰いました。
当時先生は70歳手前だったでしょうか、後半時間オーバーして恐縮しているのにレーザーディスクとDVDの画質や音響の比較が始まってしまい、幼児向けアニメのソフト鑑賞して先生の解説を聞けたのも思い出です。
振り返って考えると、予め予約はするものの素性不明の若者を迎え入れてくれる度量の大きさは今では中々ないことかもしれません。
ところで全然関係ないですが、先日初めて行った個人病院の待合室でBGM程度の小さい音なのに大変音離れの良い音がしたので、振り返って見たらパラゴンでした。コンディション良いようで是非大きい音で聞いてみたい。
先日、部屋の整理をした際に、古いStereo Sound誌「方舟」の記事を読み返し、何となく処分するのを辞めました。
私の先輩(オーディオの師)は、D-58ES+T500AMk2に、ベリンガーのDEQ2496を駆使、プリとパワーは古いアキュフェーズですが、どんな装置を使用しても、同じ音がしそうな勢いです。
定位とか音場という次元ではなく、ヘッドホンで聴いて脳内定位するかの様な、否、耳ではなく脳が直接聴いているかの様に錯覚する、と言ったら言い過ぎでしょうか?そんな衝撃的な音です。
私もD-58ESに替えようかと、真剣に悩んだ時期もありました。
YouTubeに、月刊stereoの方舟訪問の様子がアップされています。
私も聴いたのは初めてでしたので、有難く拝聴しました。
駄文、失礼しました。