オーディオ・ベースマン見たり聴いたり ミェチスワフ・ホリショフスキー・・空前にして絶後の演奏会!。

オーディオ・ベースマン見たり聴いたり ミェチスワフ・ホリショフスキー・・空前にして絶後の演奏会!。

1987年の12月9日、11日の二日間、東京・お茶の水のカザルス・ホールで行われた95歳のピアニストの演奏。「空前絶後」。その現代的な意味は、「未だかつてなく、今後もまずありえない」こと。このような演奏が行われ、録音されることは、もうないだろう。ウィキペディア(Wikipedia)によると、ミェチスワフ・ホルショフスキ( Mieczysław Horszowski‎‎、1892年6月23日 – 1993年5月22日)は、ポーランド出身のピアノ奏者(ミエチスラフ・ホルショフスキとも)。99歳まで公開演奏会を行った。音の評価は、佐野元春さんの「SOMEDAY」を➁として評価…(本当は①だけど)。 オーディオ・ベースマン。アキュフェーズの試聴会を4月22日(土)、23日(日)に開催予定です。詳しい内容はまだ決まってません。

ホロヴィッツ。強靭な打鍵による爆音、最弱音でもホールの最後尾まで美しい音形で届いたという。

感銘度 素晴らしすぎて数字化不可能。 帯域の広さ④、解像度④、SN比③、高域表現④ 中間表現③、低域表現④、コントラスト③、音像定位(楽器、人物の位置がハッキリしているか)⑤、空間表現 上下、右左に展開、音の鮮度 特。 寸評柔らかいタッチで弾かれる鍵盤から湧き出る瑞々しいピアノの音色。「今、音楽が始まり、そして終わる」といった新鮮な演奏をカザルス・ホールで実演。再生する度に当日の観衆、聴衆の感激、感動が再現される。曲が終了した時の拍手が違う。DISK 1、バッハのイギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV810が終ると拍手が中々出てこない。95歳のピアニストの予想だにしなかった演奏に観衆は茫然自失。やがて我に返った聴衆の拍手がパラパラと沸き起こり、そして万雷の拍手がホールを満たす。純粋無垢(じゅんすいむく)な音楽家が生み出した奇跡の二日間。ピアノの天才少年と言われながらも、1910年(18歳)から二年ほど、パリのソルボンヌ大学で文学、哲学、美術史を学んでいる。ライナーノーツによれば、アンリ・ベルグソン(フランスの哲学者)の講義を聴くため演奏活動を中断したという。このことから、音楽だけではなく物事に対する考察を深める人柄を窺わせる。そのことが、終生、純粋で鮮度の高い演奏を可能としたのだろう。左上の写真、ウラディーミル・ホロヴィッツ(1904~1989)。1983年と1986年に来日、コンサートを開いた。1983年のコンサートは、「罅(ひび)の入った骨董品」(吉田秀和氏)と評された。上手い表現だ。ムソルグスキーの「展覧会の絵」を聴くかぎりでは、ピアノの音色が硬質。強烈で正確無比な打鍵から繰り出される音色は、聴くものの耳を通り過ぎてダイレクトに脳みそ到達する。そして、作曲者の意図をおもんぱかることなく、個人的な感情、独自解釈を旨(むね)とするロマン主義的演奏スタイルは、古く「骨董品」。このスタイルは、終生変わらなかったみたいだ。硬質なピアノの音色とともに演奏者個人の感情を前面に押し出すロマン主義的表現は、情緒、和(やわ)らぎを大切にし、「和を以て貴しとなす」日本人の美意識に触れることはなかった様子。一方の、ホルショフスキーさんのピアノは、柔らかく、現代的(どこがと言われれば困りますが)で瑞々しく、新鮮な印象。日本人の感性にピッタリ。この違いは、若い頃から学問を修め、教養を身につけ、知識、識見、洞察を広げる事に余念がなかったであろう演奏家の違いではなかろうか?。

今は、使用されていない「カザルス・ホール」。保存、再開を期待したい。