オーディオ・ベースマン見たり聴いたり 森麻季さんの「至福の時~歌の翼に」・・2日(水)のコンサート、聴衆は至福の時を過ごしました。

オーディオ・ベースマン見たり聴いたり 森麻季さんの「至福の時~歌の翼に」・・2日(水)のコンサート、聴衆は至福の時を過ごしました。

捲土重来(けんどちょうらい 注)。この言葉がぴったりのコンサート。10月2日(水)。岩手県民会館の中ホール。ソプラノの森 麻季さんのリサイタルが行われました。聴衆は静かに拍手喝采、感謝感激感無量。森さん、山岸 茂人さんは満面の笑み。CDを購入して帰宅。後日、ベースマンにて聴きました。評価は、実演を③として。このCD。どのような事情か判らないが、伴奏のピアノの音がやたらでかい。そのうえ、ピアノという楽器の音がしない。伴奏の山岸さんは、一歩も、二歩も引き下がって伴奏する方。歌い手と肩を並べたように演奏する事は決して行わない。ひどいピアノの音まで含めると評価に値しない。よって、評価は森さんの歌唱のみで。

森さんの声質を再現するにはアナログ録音、レコードがいいと思う。

感銘度・ギリギリで②。 帯域の広さ・②。解像度・②。音の背景の静けさ・②。高域表現・①(おそらく900㎐あたりまでしかでてないが)。中間表現・②。低域表現・②(おそらく300㎐あたりまでしかでてないが)。コントラスト・③。音像定位・(楽器、人物の位置がハッキリしているか)①。空間表現・音がスピーカー(SP)全体から出てくる、無理に広げている感じで違和感あり。音の鮮度・②。 寸評、実演の森さんの声は力感がないし声量がない。CDは、その力感、声量をマスタリングの際の音量調整で大きくした感じ。だからSP間のセンターに歌い手がしっかり定位せず声だけが部屋全体を覆いつくす感じに聴こえる。エンジニアが森さんの声質を録音で伝えようとして苦労した結果なのかもしれない。普通に話す森さんの声は、いわゆる『アニメ声」。幼くはないが「かわいい声」。その森さんが歌うと「キリリとしてシャープでないが、ほのぼのと淡くもない。シルク、絹のように滑らかな質感と光沢があるが艶めいていない」にもかかわらず、「湿り気があり柔らかくきめ細かな浸透するような美声」に引き込まれる。声が大きい方ではないので余計に聞き耳を立ててしまう。舞台に立って歌う森さんの唇から🎵(音符)の霧(ミスト)が客席に降り注がれる。「マリア・カラスのように人々を屈服させるような声」とは縁遠く、「色気たっぷりの妖艶な声」とは違い、かといって「断崖絶壁に一輪咲く純白の山百合(ヤマユリ)のような清冽な声」といった凛々しさはなく、はたまた「道端に楚々と咲く小さなすみれ草のような純真無垢な声」の清らかさは無い。表現に困る!。CD、デジタルで捉える、録音するのは無理!。…とは言え、このCDでその片鱗は窺う事はできる。

冒頭の捲土重来。2015年8月に森さんのリサイタルを聴いている。この日は、不調だったみたい。歌い方が不自然。「どう不自然?」と問われたら答える事ができないが…。その日のリサイタルは、あくまでも一歩、二歩さがって弾いているピアノの山岸さん方がよく聴こえた。ただ、森さんは「夜空に輝くスターでなく、舞台上で輝くスター」なのでアンコールの最後までその時に出来る限りの歌唱は聴かせた。いまでも「私、コロラトゥーラは得意だから」と言った言葉を覚えている。そして、不調の森さんを支えるために一生懸命にピアノを弾く山岸さんの姿、ピアノの音も記憶にある。

…で、今回のコンサート。力強さ、声量はなくとも、自然にソプラノが出ていた。絶好調。山岸さんの気持ちよさげな軽快なピアノ。森さんの声質も相まって、ドビュッシー、フォーレ、プーランクの`おフランス物´が最高。ちょっと鼻にかかった、淡い、柔らかい、微妙に曖昧な発音のフランス語は森さんの声質にピッタリ。相性バッチリ。CDのDISK2にフランス物が8曲入っている。

意外な事に聴衆は、女性が多かった。三曲のアンコールが終り閉演。最前列の席を立って後ろを見渡すとホールを後にする聴衆が出口の扉に向かって列を作っていた。森さんと同い年かちょっと上の女性が多数。森さんのコンサートには音楽をしっかり聴く人、楽しみたい人が足を運ぶ。

(注)その意味は「1度敗れて引き下がった者が、再び勢いをつけて攻め返すこと」です。2015年の歌唱が僕にはよく聴こえなかったのですが、今回のステージはそれを完全に覆した歌唱でした。それを四文字熟語で表しました。